私が私へ送った最大限のギフト~1~

さおりです。

今回からタグに「多次元的視点」をつけてみました。
私自身の多次元的視点から見る内容ということで、読んでいただけるかな^^と。

去年の秋始まった再会が私にもたらしたこと。

この現象については「ツインレイ」として記事に何度かあげてきましたが、
またひとつ理解が深まったので書いてみたいと思います。

ツインというのは魂の双子という意味です。
そのツインの中にもカテゴリーがあります。

ツインソウル・・・自分とよく似た雰囲気や資質をもった存在で、一緒にいると心地よい。
ここに関してはソウルなので、元はひとつという概念からすれば双子という解釈よりも、よく似た
タイプが沢山いるよね~という感じ。魂のかけらを分け合っている存在。もちろん成長しあうので
すから、嫌だと感じることも多いでしょう。心地のよい夫婦ってグループソウルが同じなのかもし
れないなぁ~と思います。もちろん心地よさだけではなく学び合いもあります。

ツインフレーム・・・意識としての枠組みやフレームが似ている。という感じ。ここに関してはソ
ウルよりも人数的には少数になると思われますが、質としてより高め合い一緒に何かを成し遂げて
いくという傾向にあります。ですので自分の使命に気付いていくプロセスが含まれていきます。
心地よさと同時に、質の違いを認め合うことでより大きな目的地へと向かう相手。仕事相手かもし
れない、夫婦かもしれない、同性や子供かもしれない。ということ。意見を出し合いぶつかり合
い、認め合い、高め合う関係性。
役割としてはタイプが真逆かもしれないけれど、分かり合えるポイントも多い気がします。

ツインレイ・・・自分の唯一の魂の片割れ。一人しかいないと言われています。究極の相手。
究極が付くという事は、自分のタブーとしている側面を相手が持っていてそれを統合されることがひとつに戻るということ。
ですから、ツインレイに出逢うことは、恋愛というふわふわした体験よりも、「あなたはどんな自
分でも受け入れることが出来ますか?」という覚悟を問われます。
どんな自分でも?というのは、それって常識的にいいの?というこや
自分の握りしめている信念なんて初めからなかったことに気付かされる。そういったことの連続です。自分のタブーとしていることを難なくやってのける相手の持っている質と自分の質との統合。
もちろん自分とのピースがぴったり重なり合うという性質も持ち合わせています。だからこそ、重なり合った瞬間のエネルギーが爆発的に創造されるのでしょう。

  
ここに関してもレイの相手は異性に限定されずに、フレームより持っているエネルギーの質量が大きくなるという認識になります。
私が実際知っている方は、相手が肉体を持たない宇宙意識の方でした。

私たちが認識している概念を超えて存在させてくれる相手であり、エネルギー体としてのレイとしてお互いの関係を深めるということも在りえると言うことになります。

どの領域であっても、お互い学び合うという視点での現象化はあるわけですから、嫌だなと感じるその質を統合させるという点ではどこのツインでも変わらないと思います。

エネルギーの質量で言うと、ソウル→フレーム→レイとなり、もちろんレイは現象としてエネルギーを扱う領域が一番大きくなります。

もちろんツインかどうかにこだわる必要性もないし、知らなくても全然いいと私は思います。

ただただ純粋にお互いの関係性を育てていくことに関しては、どういう状態であったとしてもパートナーシップとしての学びとギフトが必ずあります。それがその可能性は無限に広がっていると感じています。

・・・∞・・・∞・・・∞

ただね・・私も正直わかりません。
ツインレイに関しては、そこに向かう為に(ひとつに戻る)光と闇を統合させるプロセスが前提にあるのだと体験してみてわかるし、自分も相手もしっかりとした柱をもたないと倒れます。
実際私は倒れてしまった・・。おそらく相手も。

そして何よりも私が本当に肉体をもってそのツインレイのプロセスをやりたいのか?
なのです。
 
この肉体をもって取り組むことがいかに負担がかかるのか、密度をあげていたからなのか真逆の至福感を同時に体感するというタブーと幸せという名の究極の陰陽体験。
意識体だけでは、きっと簡単に行われてしまうのだと思う。だからこそ人間としてここを体験するというのが願いなのかもしれない。
  
多くの人は地球という制限の惑星に産まれてきていること自体、何か解放させて統合するという願いがあるだろうし、もしかしたら制限なんて関係なく周りに迷惑をかけていることも気づかない事を体験する人もいる。

あぁ、言語にすると難しい。
迷惑とか制限という言葉自体が、3次元的ルールーの枠組みを感じさせるのだけれど
そもそもそのルールや枠をジャッジする必要がなく生きている人もいるということです。
それがその個人の学びであり成長として産まれてきているのだから。

まだ本題にたどり着いてないけど、既に長いので次回へ続きます。

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