シーソーゲームしてます

さおりです。

20日の春分を過ぎていかがお過ごしでしょうか?

私は宇宙会議を8人というメンバーでとても素晴らしい時間を過ごしました。
ただ目の前の人から発せられる、エネルギーたちを感じそれについて
勝手について出てくる言葉を発していたことは覚えています。
きっとそれぞれに、みんなが何かを感じて岐路に着いたんだと思います。

私は・・帰り道にひとつの感情が沸いてくるんです。
「寂しい」という気持ちが・・。
電車の中で、それについて感じながらいくつかの点が視えました。

「ありがとう」と言われる言葉に対して、私は完全に受け取れない。
そこには、「私がやっている」という感覚があまりにもないからなのか
自分という自尊心みたいなものが、「役に立てたのか?」と思っているようでした。

そんなものは、はじめからないし
あってもなくても
今、行われていることが最善なんだということは知っている。

ただ顕在意識だけが、抵抗している。

そしてとうとう車の中で、泣いていました。
先月の新月後に起こったような酷さほどではないけれども
「私が今日死んでしまったら?」という問いをしていました。

何もしない私
何かをしている私
誰かを愛する気持ち
誰かから愛される気持ち

不思議なことに、命の灯が消えていくような体感でした。
私・・どうしたんだろう?って。
あまりにも無気力になりすぎて、火が付かない・・。

水の性質が多すぎて、全部が溶けてなくなってしまった感じです。

視ていた点は、お彼岸ということもあってか「両親」「先祖」
母が常に感じていた寂しさや悲しさ、そして怒り。
それを最後は自らの火で消したし、父はその罪悪感で寂しさを抱えながら最期を迎えました。

そして、「抱擁」「法要?」
もうひとつは「自己価値」

3つの点を自分の中で繋げながら、自分の観察をしている最中ですが
どうやら、大きな大きな愛を受け取るとなくなると思っているみたいです。

ひとつのフィールドを終えて、新しい領域を超えていく先に想像もつかない
豊かさを構築している最中らしい。←まだ潜在意識の領域の言葉です。
第4チャクラの多次元的なところかな・・
全部を手にしてしまうことの、恐さなのかもしれない・・って感じてます。

現にこの1か月、自分で断ち切ったはずのエネルギーに蓋をしてしまい
完全に胃が膨れ上がってしまいました(笑)
妙な体型になっています。
本当は怒っていたんだって、気付いた。

この怒っていた件と今回の「寂しさ」はリンクしているので、しっかり感じきることだけ。
怒りの対極は愛です。
愛をわかって欲しくて、本当は怒っていた。

誰かのせいではなく、そう沸いてくる感情は私のものでしかなく
寄り添ってもらえる言葉たちは、ハートから伝わらないと受け取れないのかもしれないし
ただ単に受け取る恐さがあるのかもしれない。
そんな気持ちのシーソーゲームをしています。

私たちは誰かを通してしか、自分の姿を知ることができない。
自分を知るには、目の前の人から感じるしかない。
そうやって、ひとつずつ、本来の姿に戻っていくのだから。

 

 

 

 

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