ズレのない世界で生きるには?

さおりです。

昨夜LINE@の方でも呟いたのですが、いよいよ「分かち合い」の世界が目に現れてきました。
私が自分の意識の統合プロセスに入ったのが2008年。
それは緩やかに始まりましたが、激動でもありました。


 
その年和歌山へ住むことになったのですが、引っ越しで息子が小学校に行けなくなり
私はセラピストの学校へ通い始めた年。
 
嫌がる息子を1週間ほど引きずって学校へ連れて行ったこともあったのだけれど、
「あれ?私が学校行ってるんじゃない」とふと気づいて・・

学校へ行かなくてはならないという古い価値観を、息子の導きによって捨てざる終えなかった。

それから、いざなわれるように出逢った霊的なグループによって私は
内側と外側の世界を知り、グループは離れたけれど内観を続けてきたのね。

何度も、「何の為にやってるんだろう」って問いかけをしながらも本当に続けてきてよかった。
って、ここ最近の流れを感じながらワクワクする自分。

無意識に話しているその言葉や想いを、自分がしっかり認識して行動すること。

自分が思っている事と現実にズレがあるのは

自分に正直に生きていないから。

周りに合わせ、「~したほうがいい自分」を演じている限り望む世界はこない。

自分の話している声自分で聴いていますか?

無意識だから知らない

というのは、責任逃れなのです。

それは自分ではない他の誰かのせいにしているし、その方が楽なんだよね。

自分に意識的になるほどに、「こんな事を言っていたのか?」と愕然とする時もある。
それが自己責任。
気付けばいい。
そして、そんな自分を責めるのではなくて「どうしてそういう行動をするのか?」って
聞くの。
「認められたい」「寂しい」「愛されたい」とかっていう心の声がそこにはあるから、
ただただそれに自分で寄り添うだけ・・・。

昨日もね・・・
自分がいよいよ変わらないとダメな気がするって言ってくれた友達がいたの。
その友人はメールで「必死に頑張って、必死になればなるほど他が見えなくなった」って
書いてきてくれた。

その時、「あぁ・・・必死って漢字って必ず死ぬって書くんだ」って思った。
必死に頑張ることで報われるという価値観がある人は
必死になることで、どんどん自分を苦しめていることになっているなんて
思いもしない。
 
私も去年のどん底の時「必死だった」っと思った。

必死さは心も身体も 死 へ向かうのか・・。

一度崩壊してもいい。

ただその後、どうしてそうなったのだろう?って自分の軸がある程度立つまでは
サポートしてもらうことが
新しい生まれ変わりを創造していくのだとも思う。

これからは、自分の命を本来の自分の歓びの為に遣うことがスタンダードになっていくのだと
感じます。
どんな自分もOK
という言葉の中には、まずどんな自分をも受容すること。

今日は今度の新月に向かってのイベントをLINE@で配信予定。

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